そなたは何時もあれもよいらしい、これもよいようだと迷って、迷ひの世界をうみ出し、自分で自分を苦しめて、気の毒よなあ。
これと一応信じたらまかせきれよ。
梶をはなして鳴門の渦の中にまかせきれよ。
まかせきるとひらけてくるのぢゃ。
悟れたようでゐて、そなたが悟り切れんのはまかせきらんからぞ。
そなたはいつも孤独、そなたの不運は孤独からぢゃ。
友をつくりなさい、友つくることは己をつくることと申してあろうが。
友つくることは新しき世界をつくることぞ。
一人の世界は知れたものぞ。
一人ではマコトの道を生きては行かれんぞ。
友と申しても人間ばかりではないぞ。
山も友、川も友、動物も植物も皆友ぞ。
大地も大空も皆友となるぞ。
何も彼も皆友ぢゃ、皆己ぢゃ。
皆々己となれば己はなくなるぞ。
己なくなれば永遠に生命する無限の己となるのぢゃ。
御神前で拝むばかりでは狭いぞ。
野菜拝めば野菜が、魚拝めば魚が己となるのぢゃ。
拝むことは和すこと。
和すことが友つくる秘訣ぞ。
友を己とすることは、己を友とすることぢゃ。
友にささげることぢゃ。
親は子にささげるからこそ、子が親となるのぢゃ。
判りたか。
赤ん坊のお尻をふいてやることもあるであろうがな。
そなたが赤ん坊と同じであったら出来ない芸当ぞ。
お尻を出すものがあっても、決して怒ってはならん。
子のお尻と思ってきれいにふいてやれよと申してあろうが。
お尻を持ち込まれるのは、持ち込まれるだけのわけがあるからぞ。
利子は後から支払えばよいと、そなたは思ってゐるが、先に支払ふこともあるのであるぞ。
先にお尻をふかねばならんことも、世が迫ってくると出てくるのぢゃ。
その代り、後では神がそなたのお尻をきれいにふいて下さるぞ。
ぶつぶつ申さずに勇んでやって下されよ。
そなたは他にものを与えることに心せねばならんぞ。
与えることは頂くことになるのであるから、与えさしてもらう感謝の心がなければならんぞ。
強く押すと強く、弱く押すと弱くはねかえってくること、よく知って居ろうがな。
自分のものと云ふものは何一つないこと、よく判って居る筈ぢゃ。

