| 日月神示 ( 2 ) 1 巻 上つ巻 2 帖 1944年06月10日 |
| 親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。
鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。 木の根でも食うて居れ。闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民 沢山ある。早く (モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト 心になりて呉れよ、神頼むぞよ。
盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほど だんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。 配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。冬の先が春とは限らんぞ。 の国を八つに切って殺す悪の計画、 の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。
六月の十日、書は、ひつくの神。てんめ御苦労ぞ。 |
解説 : 2023年10月16日 稚姫君神様からの御歌 たびのくは みいずのこころ ひとしれず よきことなして すすむみちなり 親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。 人間も全ての生物も、主神の神様より分け隔てなく直霊を授けて頂いておりますので御霊(たま)の祖(おや)で御座います。 また、肉体も根源は神の産霊の働きにより生じ、そこから生(命)を継承し身體を受け継いできているのです。 それ故に、神は親(祖)であり、人も他の生物も全て子(子孫)なのであります。 人は様々な事を経験し辛き困難にも負けずに誠を学び得る為の修行の世であるにも関わらず、今の世に染まり身欲に囚われ誠の心が失われてしまっていると言う事です。 鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。 木の根でも食うて居れ。闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。 身体も小さく害獣と言われている鼠さえも、神様から頂いた尊き御霊の天性の性分に従い活動しておるのに、人間はその本質に逆らい、我の思いに囚われ物事の一寸先も見えず感じ取れず、また他者の心や思いすら何も思わず感じられない思いやりも心遣いも出来ない心曇り閉じた我良しの精神の状態となっているのです。 このような多くの人々の中、今は報われずとも心清く正しき誠の人達を、神様は大慈悲の精神により見放す事は決して無く救済の道を示してくださるのです。 辛く辛抱しなければならない時はありますが、悪しきに染まらずに何としても諦めずに乗り越える事であります。神は全てご承知されておられる事なのです。 手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、 人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。 世の為、人の為の善行は人に言うべき事ではなく陰ながらにして行うものであります。 善行を口外する者は、自分の善行を人に見せる為の自己愛から生ずる行動であるのです。 これは同じ行動をしても全く霊界が異なる行動となのです。 人の為に必要であろう事、また自分の出来る事を出来る範囲で無理なく行う事なのです。 自らを犠牲にして他を生かす精神ではなく、他を生かし自らも生かす精神が本当の幸せとなるのです。世界の人種を超えて、人の足りない所を補い合い、協力し合うという世界大家族の精神となれば誠の幸せで理想の世の中となるのです。これが誠の神の民の精神なのです。 酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民 沢山ある。 早く ⦿(モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト⦿心になりて呉れよ、神頼むぞよ。 今の世の人による人を縛るような狭き法律を超え、誠の理想の世(弥勒の世、光の世)が訪れる事になるのです。万人が気張らず、驕らず、慢心せずに心改めて天授の御霊の心性に省り、謙虚に素直に正直になる事であります。 盲が盲を手を引い て何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほど だんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。 盲とは目の事ではなく、霊性が塞がれ心が閉じている人の事であります。 霊性が塞がれ心が閉じているとは、御霊本来の正しい働きがされずに、人の事は何とも思わぬような自己中心的で心無い人の事であります。 このような精神な人ほど人助けを口にして、それらしき事を行う人も多いのですが、自らの思想のようになるので必ず行き詰まるものなのです。 大元である自らを省みて悔い改めて正しい思想を培う事からなのです。 ですが、改心とはそうそう簡単な事ではないのです。 今までの自分自身を自分で乗り越える事は大変に難しい事であり、生死の狭間に立たされて漸く改心出来る者は極々僅かであり非常に困難な事なのです。 その為に大変な決意と継続する意志力が必要になり困難でも諦めずに継続する事なのです。 然すれば、その辛き変革を乗り越え培われた誠の心は、先の世の真の永久の財産となるのです。 配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでな く、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。 国々や所々により、配給や統制のやり方は異なりますが、神が分け与えてくださる恩恵は万人のみならず命ある動植物全てに分け隔てなく、絶え間なく与えてくださっている大愛(たいあい)の力そのものなのです。これを神の稜威(みいず)と言います。 人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんこと にしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。 私心で良かれと思う事を行っても、必ずや成し得る事は出来ず中途半端で終わってしまう事になります。まずは今の自分の心魂(心)に向き合い、真の心を求め培う事を行う事なのです。そして気付いた人が気が付かぬ人に伝えて、各々が身魂磨きをする事なのです。 冬の先が春とは限らんぞ。⦿の国を八つに切って殺す悪の計画、 ⦿の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。 ・・・ 日本国内においても外国御魂の精神である我良しの自己中心的精神の者が居り、国外においても倭魂の精神である真心を有す人が居るのです。 厳瑞 |
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(モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト