| 日月神示 ( 245 ) 8 巻 磐戸(一八十)の巻 9 帖 1945年01月11日 |
| 富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それ迄に神の国の臣民改心して居らぬと気の毒出来るぞ。
天狗や狐は誰にでもかかりてモノいふなれど、神は中々にチョコラサとはかからんぞ、よき代になりたら神はモノ云はんぞ。 人が神となるのざぞ、この神は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)にはかからんぞ、神が誰にでもかかりて、すぐ何でも出来ると思ふてゐると思ひが違ふから気つけておくぞ。 かみがかりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れよ。 この道は中行く道と申してあろがな。 戦すみたでもなく、すまぬでもなく、上げもおろしもならず、人民の智や学や算盤では、どうともできんことになるのが目の前に見へてゐるのざから、早う神の申す通り素直に云ふこときけと申してゐるのざぞ。 長引く程、国はヂリヂリになくなるぞ。 米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。 命(いのち)あると申して油断するでないぞ。 この神示よく読めば楽になって人々から光り出るざぞ、辰の年はよき年となりてゐるのざぞ、早う洗濯してくれよ。 一月十一日、 のひつ九。 |
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のひつ九。