| 日月神示 ( 350 ) 13 巻 アメの巻 16 帖 1945年12月19日 |
| 此の世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、神の世界も引くるめて申してゐるのぢゃぞ、勇んでやって下されよ、勇む所此の方力添え致すぞ。
心配顔此の方嫌ひぞ、歌唄ひ下されよ、笑ひて下されよ、笑へば岩戸開けるぞ。 今の人民キリキリ舞しながらまだキリキリ舞する様もがいて御座るぞ。 つ千に返ると申してあろがな、早う気付いた臣民人民楽になるぞ。 神の守護と申すものは人民からはちっとも判らんのであるぞ、判る様な守護は低い神の守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民には判らんのざぞ、心せよ、何んな事あっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆人民の気からぞとくどう申してあろがな、人民キから起って来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むより方法(ほか)ないぞ、人民の心さへ定まったら、此の方自ら出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。 此の世の物一切神の物と云ふ事まだ判らんのか、一切取り上げられてから成程なァと判ったのではおそいから嫌がられても、くどう同じ様な事申してゐるのざぞ、人民の苦しみ此の方の苦しみざぞ、人民も此の方も同じものざぞ、此の道理判りたか、此の方人民の中に居るのざぞ、別辞(ことわけ)て申してゐるのざぞ。 まだまだ大き戦激しきぞ、是で世よくなると思ってゐると大間違ひとなるのざぞ、是からが褌(ふんどし)ざぞ、よき世となれば褌要らんのざぞ、フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しひなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろがな、何も彼も嬉し真から楽しき世ざぞよ。 誠が神であるぞ、コトが神であるぞ、元であるぞ、道であるぞ、日であるぞ月であるぞ。 始めコトありと申してあろがな、キであるぞ、まつりであるぞ。 十二月十九日、一二 。 |
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