| 日月神示 ( 366 ) 15 巻 一八(イハ)の巻 1 帖 1946年02月16日 |
| 一八(いわ)の巻書き知らすぞ。
一八は弥栄。 は と〇、 、 が神ざぞ。
が神ざと申してあろう。
悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ。 人民悪いこと好きでするのでないぞ、知らず知らずに致してゐるのであるぞ。 神にも見(み)のあやまり、聞きのあやまりあるのざぞ。 元の神には無いなれど、下々の神にはあるのざぞ。 それで見なほし、聞きなほしと申してあるのざぞ。 元の神には見直し聞きなほしはないのざぞ、スサナルの大神様鼻の神様かぎ直しないぞ、かぎのあやまりはないのざぞ。 人民でも、かぎの間違ひないのざぞ。 鼻のあやまりないのざぞ。 スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。 間違ひの神々様、この世の罪けがれを、この神様にきせて、無理やりに北に押込めなされたのざぞ。 それでこの地の上を極悪神がわれの好き候(そうろう)に持ちあらしたのざ。 それで人皇の世と曇りけがして、つくりかへ、仏の世となりて、さらにまぜこぜにしてしまふて、わからんことになりて、キリストの世にいたして、さらにさらにわからぬことにいたしてしもふて、悪の仕組通りにいたしてゐるのぢゃぞ、わかりたか。 釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、今の仏教やキリスト教は偽の仏教やキリスト教ざぞ。 同じ神二つあると申してあらうがな。 なくなってゐるのざぞ、 ない ざぞ、 でないと、まことできんのざぞ、わかりたか。
なきもの悪ざぞ、 は霊ぞ、火ぞ、一(はじめ)ざぞ。
くらがりの世となってゐるのも、 ないからざぞ。
この道理わかるであらうがな。 旧一月十五日、かのととりの日、一二 。 |
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は
と〇、
が神ざぞ。
が神ざと申してあろう。
