| 日月神示 ( 379 ) 17 巻 二日(ジシ)んの巻 2 帖 1945年09月10日 |
| 天界も無限段階、地界も無限段階があり、その各々の段階に相応した霊人や地上人が生活し、歓喜している。
その霊人たちは、その属する段階以外の世界とは、内的交流はあっても、全面的交流はないのである。 何故ならば、自らなる段階的秩序を破るからである。 秩序、法則は、神そのものであるから、神自身もこれを破ることは許されない。 しかし、同一線上に於ける横の交流は、可能である。 それは丁度、地上に於ける各民族がお互に交流し、融和し得るのと同様である。 総て分類しなければ生命せず、呼吸せず、脈うたない。 分類しては、生命の統一はなくなる。 其処に、分離と統合、霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では、平面的には割り切れない神秘の用が生じてくる。 一なるものは、平面的には分離し得ない。 二なるものは、平面的には一に統合し得ないのである。 分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体、神人合一、陰陽不二の大歓喜は、立体的神秘の中に秘められている。 については一なるも、〇に於ては二となり三となり得るところに、永遠の生命が歓喜する。
一は一のみにて一ならず、善は善のみにて善ならず、また、真は真のみにて真となり得ない。 神霊なき地上人はなく、地上人とはなれた神霊は、存在しない。 しかし、大歓喜にまします太神の は、そのままで成り鳴りやまず存在し、弥栄する。
それは、立体を遥かに越えた超立体、無限立体的無の存在なるが故である。 霊人は、その外的形式からすれば地上人であり、地上人は、その内的形式からすれば霊人である。 生前の形式は、生後の形式であり、死後の形式である。 即ち、死後は生前の形式による。 形式は愛と現われ、真と現われ、善と現われ、美と現われる。 而して、その根幹をなし、それを生命させるのは歓喜であって、歓喜なき所に形式なく、存在は許されない。 愛の善にして真の美と合一しなければ呼吸せず、現の現人にして霊の霊人と合一しなければ生命しない。 これら二つが相関連せるを外の真と云う。 外の愛も外の真も共に生命する。 人間に偽善者あり、霊界に偽善霊の存在を許されたるを見れば判るであろう。 表面的なるものの動きも、内面的に関連性をもつ。 故に、外部的にまげられたる働きの許されてあるを知ることができるであろう。 許されてはいるが、それは絶えず浄化し、弥栄すればこそである。 浄化し弥栄しゆく悪は悪でなく、偽は偽でない。 動かざる善は善でなく、進展せぬ真は真でない。 更に善を善とし、悪を悪として、それぞれに生かし弥栄するのを歓喜と云う。 歓喜は神であり、神は歓喜である。 一から一を生み、二を生み、三を生み、無限を生みなすことも、みなこれ歓喜する歓喜の現われの一つである。 生み出したものなればこそ、生んだものと同じ性をもって弥栄える。 故に本質的には善悪のないことが知られるであろう。 死後の世界に入った最初の状態は生存時と殆ど変化がない。 先に霊人となっている親近者や知人と会し、共に生活することもできる。 夫婦の場合は、生存時と同様な夫婦愛を再びくりかえすことができるのである。 霊界は、想念の世界であるから、時間なく、空間なく、想念のままになるのである。 しかし、かくの如き死後の最初の状態は長くはつづかない。 何故ならば、想念の相違は、その住む世界を相違させ、その世界以外は想念の対象とならないからである。 而して、最初の状態は、生存時の想念、情動がそのままにつづいているから、外部的のもののみが強く打ち出される。 故に、外部の自分に、ふさわしい環境におかれるが、次の段階に入っていくと、外部的のものは漸次うすれて、内分の状態に入っていくのである。 内分と外分とは、互に相反するが、霊人の本態は内分にあるのであるから、この段階に入って始めて本来の自分にかえるのである。 生存時に於ては、地上的な時、所、位に応じて語り、行為するが為に、限られたる範囲外には出られないが、内分の自分となれば、自由自在の状態におかれる。 生存時に偽りのなかった霊人は、この状態に入って始めて真の自分を発見し、天国的光明の扉をひらくのである。 偽りの生活にあった霊人は、この状態に入った時は、地獄的暗黒に自分自身で向かうのである。 かくすることによって、生存時に於ける、あらゆる行為が清算されるのである。 この状態に入ったならば、悪的なものは益々悪的なものを発揮し、善的なものは善的な力を益々発揮する。 故に、同一の環境には住み得ないのである。 かくして、諸霊人は最後の状態に入り、善霊は善霊のみ、悪霊は悪霊のみ、中間霊は中間霊のみの世界に住み、善霊は善霊のみの、悪霊は悪霊のみのことを考え、且つ行為することになる。 そして、それは、その時の各々にとっては、その時の真実であり、歓喜である。 |
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については一なるも、〇に於ては二となり三となり得るところに、永遠の生命が歓喜する。
