| 日月神示 ( 387 ) 17 巻 二日(ジシ)んの巻 10 帖 1945年09月10日 |
| 地上人は、内的に生前の霊人と通じ、また死後の霊人と通ずる。
地上人が、生前を知得するのは、この霊人を通ずるが故であり、死後を知得するのも、また同様に通ずるからである。 生前と死後は同一線上におかれているが同一ではない。 地上には、物質的形式があり、霊界には霊的形式がある。 その形式は歓喜の交叉し、発する処によって自ら成るものである。 形式なくしては合一なく、力なく、形式あるが故にものが総てに合一し、弥栄し、力し、大弥栄するのである。 形式の中に和することは、その個々が、差別されているからである。 差別し、区分せられることは、その各々に、各々が共通する内質をもつからである。 共通性なきものは、差別し、区分することができない。 霊界と現実界との関係はかかるものであるが故に、常に相応し、力し、力を生じ、また常に、相通じて力を生みゆく。 これは、平面的頭脳では、中々に理解しがたいのであるが、この根本原理を体得、理解し得たならば、神、幽、現、三界に通じ、永遠に弥栄する大歓喜に住するのである。 されば差別は、平等と合一することによって立体の差別となり、平等は差別と合一することによって立体平等となり得る。 霊人が地上人と和合し、また地上人が霊人と和合し、弥栄するのは、この立体平等と立体差別との弥栄ゆるが為であることを知らねばならぬ。 この二つの相反するものを統一し、常に差別しつつ平等に導き、立体していく力こそ、神そのものの力であり、歓喜である。 この二つの力と神の歓喜なくしては、地上人なく、また霊人もあり得ないのである。 生成発展もなく神も歓喜し得ない。 この力なくしては、地上人は霊人と和し、神に和し奉ることはできない。 故に、生命しないのである。 |
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