| 日月神示 ( 389 ) 17 巻 二日(ジシ)んの巻 12 帖 1945年09月10日 |
| 霊人が地上人に語る時は、その想念が同一線上に融和するが為である。
霊人が地上人に来る時は、その人の知る総てを知ることとなるのであるが、その語るのは霊人自身でなくて、霊人と和合して体的の自分に語るので、自分と自分が談話しているのである。 霊人は現実界と直接には接し得ない。 また地上人は霊界と直接には接し得ないのが原則である。 しかし、それぞれの仲介を通じていっても、直接行なうのと同様の結果となるのである。 為に地上人は直接なし得るものと考えるのである。 地上人の想念の中には霊界が映像されており、霊人の想念の中には現実界が内蔵されている。 故に、この二つの世界が一つに見えることもあり得るのである。 しかし、映像と実相のへだたりはかなり遠いものである。 霊人と地上人との交流において、この間の真相を知らねばならぬし、その互に交わされる談話に於ても前記の如くであることを知らねばならない。 霊人も地上人も、自分自身と語り、自分自身の中に見、且つ聞いているのである。 霊人が地上人に憑依したり、動物霊が人間に憑依したりすることは、前記の如き原則によってあり得ないのである。 しかし、外部からの感応であり、仲介された二次的交流であっても、その度の強くなった場合、地上人から見れば憑依せると同様の結果を現わすものである。 故に、神が直接、人間を通じて人語を発し、または書記するのではなくして、それぞれの順序を経て地上人に感応し、その地上人のもつそれぞれの人語を使用して語り、その地上人のもつそれぞれの文字を使用して神意を伝達することとなるのである。 しかし、神の言葉は、如何に地上人を通じて人語としても、その神に通ずる想念を内蔵せぬ地上人には、伝え得ないのである。 語れども聞き得ず、読むともその真意は通じ得ないのである。 霊人の中には、自分達の住む霊界の他に、別の世界が限りなく存在することを知らず、また、その世界に住む霊人を知らず、また物質世界と地上人を知らない場合もある。 それは丁度、地上人の多くが、生前及び死後の世界を信じないのと同様である。 |
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