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日月神示 ( 395 ) 17 巻 二日(ジシ)んの巻 18 帖   1945年09月10日
神から出る真、善、美、愛の用に奉仕するのが霊人たちの生命であり、仕事であり、栄光であり、歓喜である。
故に、霊界における霊人たちの職業は、その各々の有する内分により、段階によって自ら定まる。
為にその用は無数であり、且つ千変万化する。
歓喜第一、神第一の奉仕が霊人の職業である。
故に、自分自身の我が表に出た時は、力を失い、仕事を失い、苦悩する。
霊人の仕事は限りなく、地上人の仕事以上に多様であるが、より良さ、より高さ、より神に近い霊人生活に入るための精進であり、喜びであることが知られる。
そして、その何れもが神の秩序、即ち大歓喜の秩序、法則によって相和し、相通じ、全般的には一つの大きな神の用をなしているのである。
故に、何れの面の用をなすとも、自己というものはなく、弥栄あるのみ、神あるのみとなる。
なお注意すべきことは、霊界において、権利なるものは一切感ぜず、義務のみを感じているということである。
即ち、義務することが霊人の大いなる歓喜となるのである。
為に、命令的なものはない。
只、ひたすら奉仕があるのみである。
その奉仕は地上人であった時の職業と相通ずるものがある。
何故ならば、霊と物とは対応しているからである。
生前は生後であり、死後はまた生前であって、春秋日月の用をくりかえしつつ弥栄えている。
従って、霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができる。
陽人と、陰人とである。
陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人の為に存在する。
太陽は、太陰によりて弥栄え、太陰は太陽によりて生命し歓喜するのである。
この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反している。
故に、二は一となり、三を生み出すのである。
これを愛と信の結合、または結婚とも称えられている。
三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。
新しき生命とは新しき歓喜である。
歓喜は物質的形体はないが、地上世界では物質の中心をなし、物質として現われるものである。
霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力する。
秋は、陰であり、月と光り、且つ力する。
この春秋のうごきを、また、歓喜と呼ぶのである。
春秋の動きあって、神は呼吸し、生命するとも云い得る。
また、悪があればこそ生長し、弥栄し、且つ救われるのである。
故に神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給うものである。


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