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日月神示 ( 4 ) 1 巻 上つ巻 4 帖   1944年06月13日
急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。早く神祀りて呉れよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。神をだしにして、今の上の人がゐるから、神の力出ないのぞ。お上に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。この神をまつるのは、みはらし台ぞ、富士みはらし台ぞ、早く祀りてみつげを世に広めて呉れよ。
早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、早う祀りて神の申す様にして呉れ。神急けるよ。上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、上下揃ふたよき世が神の世ぞ。卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりての国に寄せて来るぞ。
それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか、分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。
神と人とが交流(まつり)合は してこの世のことが、さしてあるのぞ。人がきかねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣 民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ、いつ何んなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。
二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。

六月十三の日、ひつくのか三

解説 : 2023年10月22日

真の木花咲耶姫神様とは 2023/10/22( 旧九月八日)
「ひふみ神示第1巻(上つ巻)第4帖」は、最後の1文、
「二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。」
こちらに最も大切な事が記されているのです。

●稚姫君神様より
コハナサクヤ姫神様とは、岩の永遠性を象徴する女神様「石長比売神様」(いわながひめのかみさま)であらせられます。
生命の永遠性と存在の艶やかは同居しえない。
岩は永遠でも鈍重であり、桜花は美しくても短命ではかなく散る。
二者はあざなえる縄のごとく共に行動する。
(生きるとは、明と暗を併せ飲むもの)
「二三」(ふたみ)とは、対(つい)の御霊、そして、対(つい)の身体の身(み)という事になります。
「石長比売神様(コハナサクヤ姫神様)」と「木ノ花咲耶姫神様」とは、対の神様で御座います。
御二柱の神様は(厳と瑞)そして(幽と顕)という御関係で御座います。
二神で一神であり、御二柱で伊豆都能売神様、日之出の神様、つまり弥勒の神様であらせられます。
「対の御二柱の神様がそれぞれに大変な御苦労を耐え忍び、このひふみ神示の読み解きにより、今まさに日之出を御覧になられたので御座います。
なんと喜ばしい事でしょう。」
とのお言葉に御座いました。

●厳瑞
二三(ふたみ)とは「二つの身」の事であり、二つの身体をお持ちの神様と言う事になります。
「石長比売神様」と「木ノ花咲耶姫神様」は「厳の神様」と「瑞の神様」に御座いまして、
霊体と顕体の御関係であらせられ、二神で一神、つまり同一神の神様に御座います。
また、古事記に御座います木花知流比売神様(このはなちるひめの神様)も「石長比売神様」の事に御座います。
「咲く」の対の「散る」という両面を併せ持つのです)
また、「二(ふた)」は産霊の対象力であり八力に御座います。「三(み)」は体を構成する三元の事であります。
主の神様が産霊の力により身体が現れる事、つまり主の神様が顕現された神様であります。
(瑞の神様)「木ノ花咲耶姫神様」 と(厳の神様)「石長比売神様」の御一体となられた神様が「伊豆都能売神様」であり、「日之出の神様」となられ、「弥勒の神様」にあらせられるのです。
 
畏れ多くも 「石長比売神様」の事を、岩のようなお顔と辱め(はずかしめ)言われてておりましたのは、霊体であるご龍体のお姿であるのです。
今迄、長きにわたり「石長比売神様」の事を「容姿が醜い」などと残酷にも真実を曲げられ隠されて伝承され、世に落とされご無念をされ堪え忍ばれてこられたのです。
また、邇邇芸命神様が結婚の際に、石長比売神様を返された為に天孫の寿命が短くなったという事は、
不完全であらせられた継承をされてきた為なのであります。
ここに世に隠された真実の一つが明らかにされ夜明けとなり、新たな日之出の代となったのです。
 
(真の木花咲耶姫神様)
ながきよを たえしのばれて ときはみち 九のはな八(ひら)き ひのでのみよに
永き代を 耐え忍ばれて 時期は満ち 苦(九)の花開(八)き 日之出の御代に
 
皆さんにおかれましては、あまり大した事とは思えない一歩かと思われますが、
これは非常に大きな歴史的な一歩なのです。
厳瑞


●稚姫君神様からの御歌
かみまつる ふじのみはらし きづきあれ うえしたそろい このよがうごく

急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。早く神祀りて呉れよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。

神祀り(神祭)には、幽斎と顕斎と御座います。
本田親徳翁による道の大原に
「幽斎は霊を以て霊に対し、顕斎は形を以て形に対す、故に幽斎は神像宮殿無くして真神を祈る。顕斎は神像宮殿有りて衆神を祭る。俗学蒙昧にして古義を知らず、混じて以て一と為し、岐れて以て万と為し、底止する所無し、実に祭義の大疵なり」と御座います。
 
この幽斎とは、真の神を知り神を思い正しく信仰する心を培い強く抱く事であります。
また、信仰とは世界のどこに居ようとも、人種も関係なく誰であっても神を信じ、敬い、思う事ができるのです。
神祀りとは、この正しい信仰心を持つ事なのです。
また、顕斎とは、神に対する敬い感謝の思いを形として、現世に顕し(現し)祀る事であり、一般的の家庭にては、神棚にて神様をお祀り申し上げて、日々の感謝の拝礼を行う事であります。
この現世は、霊界の現れの世でありますので、本来は顕幽一致した真心のこもった信仰により神祀りと日々の拝礼を行う事が宜しい事なのです。
 
物質的なお金や財産、地位名誉などの私益を求めた御利益の為の信仰ではなく、
日々既に頂いているの神々様の「天地日月」の恩恵に感謝し、敬意を示す事は誰にでもできる神様に対する恩返しの一つで御座います。
 
真の神様に対する心からの信仰により、自らの御霊に内流「受霊(うけひ)」が起きるので自らを悔い改める正しい働きが出て参ります。
これが直霊の働きに御座います。
その為に、ここでは真の信仰が必要であるとお知らせ頂いているのです。
(※詳しくは御霊の働きなどは高地秀宮にてお知らせを致します。また詳しく知りたい方は高地秀会の方々がご奉仕で指導くださいますのでお知らせくださいませ)
 
また、真の信仰に至るまでも、自らの心を省みて悔い改めるには、大変な時間も決意も必要となります。
気が付いた時から始めるようにされないと間に合わない事になってしまいますが、
既に神様のご用意はもう済んでおられて、強制的にせざるを得ない世情の状況となっても、
多くの方方々は、未だ気が付かずに目覚めない状態なのです。
身魂が磨かれ、真の信仰心が無いと、神様からは助ける事も導く事も適わないという事で御座います。


表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。
この世には、一般的に表向きに知られている事と隠された裏の真実があるのです。
また、表に出ていない裏の事にも、また反対の働きがあるのです。
自らの心においても、本音と建て前の表裏があり、隠された本質があるのがこの現世なのです。
ですが、もう間もなく全てが清算され隠された真実が表に出て露わとなる事となるのです。


神をだしにして、今の上の人がゐる から、神の力出ないのぞ。お上に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。
ここでの政事(まつりごと)とは、政治の事であり、国々を司る政治家や官僚などの方々が、
自らを正当化し益を求め、都合の良い神を語り、神を利用し私腹を肥やすような我良しの精神では、悪しき神に相通ずるのです。
このような人は、他を排し争いを好み人を犠牲にするような行為を好むもので、真の神には到底相通ずる事は無いのであります。
これらの国々を司る人達が、真の大神様を信仰し(祭事=まつりごと)、正しい政治(政事=まつりごと)を行わなければ国々や世界は治まらないのです。


この神をまつるのは、みはらし台ぞ、富士みはらし台ぞ、早く祀 りてみつげを世に広めて呉れよ。
早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、早う祀りて神の申す様にして呉れ。神急けるよ。

富士とは、どっしりと裾広く心を据えて、最(いと)も美しき志を高く持ち、何事にも動じぬ富士の如く崇高なる心(御霊)の事であり、
このような心魂(心)となり、自らの心に真の神を抱き据える事、つまり心からの正しい信仰する事なのです。
そして、誠の神の教えを惜しむ事無く世にお伝えする事なのです。
また自らを省みて、心改めるには大変な覚悟も時間も必要となりますので、早く多くの方々にお伝えして取組み改善しなければ、日本の良き思想が廃れて消えてしまう事になるのです。
なので、早く気が付いて頂いて実践をしてくださいという事なのです。


上ばかりよくて もならぬ、下ばかりよくてもならぬ、上下揃ふたよき世が神の世ぞ。
天と地、顕と幽、神と共に人も、また人間社会においても国々を司る人達ばかりでなく、また一般の人達のみ良くなる事ではなく、万人が神様の御心に適った幸せな理想の世(地上天国)と成さねばならないのです。

卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりて⦿(カミ)の国に寄せて来るぞ。
それなのに 今のやり方でよいと思うてゐるのか、分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。

神示の降ろされた当時においては、第二次世界大戦中における連合国であります 「卍(ドイツ)」と 「一十(イタリア)」、の事であり、他国が日本に攻めて来る事を事前にお知らせ頂いたのです。
また、現代においては 「卍(仏教)」と「一(イスラム)十(キリスト)」の教えもあてにはならず、
外国からの文化や思想が日本に攻めより、真の大和魂の精神が消えさった抜け殻のような状態になっているので、
真の神を求め、本来の大和魂の政治を行わねばならないという事で御座います。
(今後、実際に攻め寄せてくる事にもなるのです)


神と人とが交流(まつり)合は して この世のことが、さしてあるのぞ。
古来より、大自然の天地日月の神々様の恩恵により人は生かされ、様々な事を経験し学び育まれてこられたのです。
今や、この神々様の恩恵に対しても気が付かず、当たり前の如く何も感じない心の曇った多くの御霊となってしまわれたのです。


人がきかねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ、いつ何んなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。
本来は人間が創った悪しき物や思想、罪穢れは、人間自らが清算しなければならないのです。
しかし、それに気が付かず世情の欲望の渦に飲み込まれ、さらに渦が大きくなるばかりで、
とても悔い改めるようにはならないので神様自らにより清算(立替)されて次の世に移行すれば、
人は御霊(心)も何も変わらずに根底の国に行く者ばかりで、二度と浮かばれる事は無いのです。
この世を立替え立直す為には、まず自らの心(身魂)を立替えて立直す事から
であり、新たな正しい世を創り固める礎となるのです。


二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。
先頭に記載します

厳瑞
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