| 日月神示 ( 5 ) 1 巻 上つ巻 5 帖 1944年06月14日 |
| 富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士(二二)といふのぞ。
見晴らし台とは身を張らすとこぞ、身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。 臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。大庭の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ。 富士を開くとは心に神を満たすことぞ。ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひぞ。 ひむかは神の使ひざから、九の道を早う開ひて呉れよ、早う伝へて呉れよ、ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ、この理をよく心得て間違ひないやうに伝へて呉れよ。 六月十四日、ひつくのか三。 |
解説 : 2023年10月25日 稚姫君神様からの御歌 ふじひらき かみをみたして つたえゆく ひむかのみちに くのはなさかせ ●富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士(二二)といふのぞ。 ・富士(二二)の、二「フ」は力(八力)を現わして活動という事、「ジ」とはしみ出るという言霊で「フジ」の霊返しは「ヒ」(火・日・霊)となり火の山(火山)、霊山、日ノ山(日之出)という事になります。 つまり火(マグマ)が活動し、噴き出る山、火山であるという事です。また、日出ずる山、日之出の山という事になります。 また、神様が鎮まり霊的な活動している山の事を同じように富士と言います。 ●見晴らし台とは身を張らすとこぞ、身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。 臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。 「ミハラシ」とは「身を晴らす」、「身を張らす」事であり、「身を晴らす」とは現世の「身体と魂」つまり身魂を磨き生まれ赤子のような純心無垢な状態にする事であります。 また、その身魂の状態で心(心魂)を神で張る事、つまり何の欲望も無い純粋な心の状態で神様を信じ、強く思う事であり、これが真の信仰なのです。 この事を、神を鎮めるとも言います。 ●大庭の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ。 当時、岡本天明氏は鳩森八幡神社の留守番役であり、そこの富士塚でお土米が出て来るという事。 (御土米とは、土の中から米の形をした大変貴重な土の塊の事です) 御土米の写真(厳瑞所有)
●富士を開くとは心に神を満たすことぞ。 富士=心を開く事とは、心の中心に鎮まる我(小我)を除けて神の大精神を心の中心に据える事なのです。 ●ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひぞ。ひむかは神の使ひざから、九の道を早う開ひて呉れよ、早う伝へて呉れよ、ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ、この理をよく心得て間違ひないやうに伝へて呉れよ。 「ひむか」とは日迎、火迎、霊迎であり、御神霊を迎える事であり、その思想や大精神を人々に伝えて、御心を 「御神霊に向かわせる」お役の事を「ひむか」と言うのです。 病の源は誤った精神がら生ずるものなので、精神(心)を正す為に誠の神への信仰が必要となるのです。 その為に、気が付いた方がこの理(みち)をより多くの人々にお伝えさせて頂く事なのです。 厳瑞 |
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