| 日月神示 ( 616 ) 25 巻 白銀の巻(シロガネ) 5 帖 1950年01月02日 |
| 人間に自由はないのであるぞ。
真の自由は、大神にのみあるものぞ。 大神の自由の一部が御喜びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、又神の喜びとなって人間に流れ入るから、人間自身は自由をもってゐると信ずるのであるぞ。 本質的には自由はないのであるぞ。 人間には自由の影があり、反影あるのざ。 それを人間は自由と心得てゐるのであるぞ。 自由の反影あるから、悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。 又進歩、弥栄するのであるぞ。 悪自由を、人間は自由と心得てゐるが、それは自由ではなく、自分自身首くくるものぞ。 善自由こそ真の自由であるぞ。 自由は神から流れ出ると申してあらう。 他の世界と交流するは、他の世界に住む人間を通じてするのであるぞ。 世界とは人間のことでもあるぞ。 人間が世界であるぞ。 よく心得なされよ。 十(陽)とー(陰)と〇と であるぞ。
十の陰にはーがあり、ーの陰には十がある。 その和の状態が〇であり (イノチ)するのであるぞ。
十は十のみでは力ないぞ。 ーはーだけでは力ないぞ。 十とーとだけでも動きないぞ。 生命の喜びないのであるぞ。 よく心得よ。 〇があって十ーがあり、十ーがあり があって和があるのであるぞ。
ここの道理よく得心、合点せよ。 十は人間にとって直接の喜びでない。 がぢきぢきの喜びぞ。
ーも直接ではなく、 ![]() が直接の喜びであり、その二つが和し して嬉し嬉しと弥栄えるのであるぞ。
天地の中間を中界と申すぞ。 天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ。 天国へ行くのも、行かんのも先づ落ちつく、死後の始めての世界であるぞ。 (一月二日) |
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であるぞ。
がぢきぢきの喜びぞ。

が直接の喜びであり、その二つが和し