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日月神示 ( 617 ) 25 巻 白銀の巻(シロガネ) 6 帖   1950年05月08日
元の元のからの中界を経て、ウの現界に到る悉くの世界が皆人間に関係あるのであるから、肉体はウであるが、魂はに通じてゐるのであるから、はヨロコビであるから、喜びが人間の本体であるから、神界と云ひ、現界と云ひ、一本の国であるから、人間からすれば、人間が土台であるから、神の礎であるから、神しづまれば神人となるのであるから、神界、中界、現界つらぬきて居らねば、マコトの和合して居らねば、マコトの喜びでないから、マコトの喜びが大神であるから、大神の働きは人間によるものであるから、心せねばならんぞ。
せねばならんぞ。
天使と云ひ、天人と申すも、みなそれぞれの国の人間であるから、喜びの人間であるから、この道理判りたら、地の世界と、中の世界と、天の世界と、みな同じであるから、もちつもたれつであるから、三千世界であるから、地の上に禍あると、天の国にも禍ふのであるから、天の国の生活は地の上に根をつけてゐるのであるから、遠くにあるのでないぞ。
同じ所にあるのであるぞ。
幽界と申すのは道を外れた国のことざと知らしてあらうがな。
地獄無いと申してあらうがな。
このこと間違はんやうに、地獄地獄の言葉、やめて下されよ。
言葉からモノ生むのぞ。
只モノが違ふのみであるから、人間の心が神に通ずるときは喜びとなり、幽人に通ずるときは悲しみとなるのであるぞ。
通ずる心あるから心に自由あるのであるぞ。
弥栄あるのであるぞ。
この道理よくわきまへて下されよ。
天人に結婚もあれば仕事もあるぞ。
死も亦あるのであるぞ。
死とは住む段階の違ふ場合に起る現象ぞ。
死とは生きることぞ。
人間は皆、かみかかってゐるのであるぞ。
かみかかってゐないもの一人も居らんのぢゃ。
かみかからんものは呼吸せんのぢゃ。
このこと判りて居らうがな。
霊人は人間の心の中に住んでゐるのであるぞ。
心を肉体として住んでゐるのぢゃ。
その中に又住んでゐるのぢゃ。
ひらたう説いて聞かしてゐるのぢゃ。
霊人と和合してゐるから、かみかかりであるからこそ、三千世界に働き栄えるのぢゃぞ。
神界のことも判る道理ぢゃ。
幽界のことも判る道理ぢゃ。
人間の云ふかみかかりとは幽界のカミかかりぢゃ。
ろくなことないのぢゃ。
かみかかりにも、かみかかりと判らんかみかかり結構ぢゃなあ。
まことぢゃなあと知らしてあるのに未だ判らんのか。
(五月八日)


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