| 日月神示 ( 787 ) 30 巻 冬の巻 2 帖 1952年06月09日 |
| 病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆己からぢゃと申してあろう。
誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心ぢゃ。 親心ぢゃ。 悪くなると云ふことないのぢゃ。 迷ひが迷ひ生むぞ。 もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。 神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。 この道理よくわきまえよ。 毎日々々、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。 その日の仕事、与へられるぞ。 仕事いのちと仕へまつれよ。 朝寝するからチグハグとなるのぢゃ補 不運となるのぢゃ、仕事なくなるのぢゃ。 神について行くことが祈りであるぞ。 よろこびであるぞ。 食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。 不運となるのぢゃ。 口から出るもの、入るもの気つけよ。 いくさ起るのぢゃ。 人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。 食べないで死ぬことないぞ。 食べるから死ぬのぢゃぞ。 一椀をとって先づ神に供へよ。 親にささげよ。 子にささげよ。 腹八分の二分はささげよ。 食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ。 神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。 メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。 運ひらくのも食物つつしめばよい。 言つつしめばよい。 腹十分食べてはこぼれる。 運はつまってひらけん。 この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。 ささげるからこそ頂けるのぢゃ。 頂けたらささげると今の人民申してゐるが、それがウラハラと申すもの。 衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。 あづけられてゐるのであるぞ。 人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。 日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。 その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。 病治るのぢゃ。 人民ひぼしにはならん。 心配無用。 食物、今の半分で足りると申してあらうが。 遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。 運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。 そんなこと位で、病治ったり、運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。 理屈悪と申してあるもの。 低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。 理屈すてよ。 すててやって見なされ。 みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になってゐるぞ。 ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。 食物節すればツキモノ改心するぞ。 先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。 病もなくなってうれしうれしとなるぞ。 三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。 六月九日、ひつくの神。 以上 |
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