| 日月神示 ( 825 ) 補 巻 月光の巻 38 帖 1959年02月01日 |
| はじめの喜びは食物ぞ。
次は異性ぞ。 何れも大きな驚きであろうがな。 これは和すことによって起るのぞ。 とけ合ふことによって喜びとなるのぢゃ。 よろこびは神ぢゃ。 和さねば苦となるぞ。 かなしみとなるぞ。 先づ自分と自分と和合せよと申してあろうが。 そこにこそ神の御はたらきあるのぢゃ。 ぢゃがこれは外の喜び、肉体のよろこびぞ。 元の喜びは霊の食物を食ふことぞ。 その大きな喜びを与へてあるのに、何故手を出さんのぢゃ。 その喜び、おどろきを何故に求めんのぢゃ。 何故に神示を食べないのか。 見るばかりではミにつかんぞ。 よく噛みしめて味はひて喜びとせんのぢゃ。 喜びが神であるぞ。 次には神との交わりぞ。 交流ぞ。 和ぞ。 そこには且って知らざりしおどろきと大歓喜が生れるぞ。 神との結婚による絶対の大歓喜あるのぢゃ。 神が霊となり花むことなるのぢゃ。 人民は花よめとなるのぢゃ。 判るであろうが。 この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てはせぬ。 永遠につづく結びぢゃ。 結婚ぢゃ。 何ものにも比べることの出来ぬおどろきぞ。 よろこびぞ。 花むこどのが手をさしのべてゐるのに、何故に抱かれんのぢゃ。 神は理屈では判らん。 夫婦の交わりは説明出来まいがな。 神が判っても交わらねば、神ととけ合はねば真理は判らん。 なんとした結構なことかと人民びっくりする仕組ぞ。 神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠のものぞ。 消えざる火の大歓喜ぞ。 これがまことの信仰、神は花嫁を求めて御座るぞ。 早う神のふところに抱かれて下されよ。 二月一日。 |
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