| 日月神示 ( 842 ) 補 巻 月光の巻 55 帖 1959年03月03日 |
| そなたはよく肚をたてるが、肚がたつのは慢心からであるぞ。
よく心得なされよ。 下肚からこみあげてくる怒りは大きな怒りであるから、怒ってよいのであるなれど、怒りの現わし方を出来るだけ小さく、出来るだけ清く、出来るだけ短かくして下されよ。 怒りに清い怒りはないと、そなたは思案して御座るなれど、怒りにも清い怒り、澄んだ怒りあるぞ。 三月三日。 そなたはいつも自分の役に不足申すくせがあるぞ。 そのくせ直して下されよ。 長くかかってもよいから、根の音(ね)からの改心結構ぞ。 手は手の役、足は足、頭は頭の役、それぞれに結構ぞ。 上下貴賎ないこと、そなたには判ってゐる筈なのに、早う得心して下されよ。 そなたはこの神ときわめて深い縁があるのぢゃ。 縁あればこそ引きよせて苦労さしてゐるのぢゃ。 今度の御用は苦の花咲かすことぢゃ。 真理に苦の花さくのであるぞ。 因縁のそなたぢゃ、一聞いたなら十がわかるのぢゃ。 云われんさきに判ってもらわねばならんぞ。 知らしてからでは味ないぞ。 十人並ぞ。 今度の御用は千人力、十人並では間に合わんぞ。 人間の目は一方しか見えん。 表なら表、右なら右しか見えん。 表には必ず裏があり、左があるから右があるのぢゃ。 自分の目で見たのだから間違いないと、そなたは我を張って居るなれど、それは只一方的の真実であるぞ。 独断は役に立たんぞと申してあろうが。 見極めた上にも見極めねばならんぞ。 霊の目も一方しか見えんぞ。 霊人には何でも判ってゐると思ふと、大変な間違ひ起るぞ。 一方と申しても霊界の一方と現界の一方とは、一方が違ふぞ。 そなたは中々に立派な理屈を申すが、理屈も必要ではあるが、あわの如きもの、そなたの財産にはならんぞ。 体験の財産は死んでからも役にたつ。 ざんげせよと申しても、人の前にざんげしてはならんぞ。 人の前で出来るざんげは割引したざんげ。 割引したざんげは神をだまし、己をだますこととなるぞ。 悔ひ改めて下され。 深く省みて下され。 深く恥ぢおそれよ。 心して慎しんで下されよ。 直ちによき神界との霊線がつながるぞ。 霊線つながれば、その日その時からよくなってくるぞ。 気持が曲ったら霊線が切り替えられる。 |
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