| 日月神示 ( 843 ) 補 巻 月光の巻 56 帖 1959年03月03日 |
| そなたは何時もあれもよいらしい、これもよいようだと迷って、迷ひの世界をうみ出し、自分で自分を苦しめて、気の毒よなあ。
これと一応信じたらまかせきれよ。 梶をはなして鳴門の渦の中にまかせきれよ。 まかせきるとひらけてくるのぢゃ。 悟れたようでゐて、そなたが悟り切れんのはまかせきらんからぞ。 そなたはいつも孤独、そなたの不運は孤独からぢゃ。 友をつくりなさい、友つくることは己をつくることと申してあろうが。 友つくることは新しき世界をつくることぞ。 一人の世界は知れたものぞ。 一人ではマコトの道を生きては行かれんぞ。 友と申しても人間ばかりではないぞ。 山も友、川も友、動物も植物も皆友ぞ。 大地も大空も皆友となるぞ。 何も彼も皆友ぢゃ、皆己ぢゃ。 皆々己となれば己はなくなるぞ。 己なくなれば永遠に生命する無限の己となるのぢゃ。 御神前で拝むばかりでは狭いぞ。 野菜拝めば野菜が、魚拝めば魚が己となるのぢゃ。 拝むことは和すこと。 和すことが友つくる秘訣ぞ。 友を己とすることは、己を友とすることぢゃ。 友にささげることぢゃ。 親は子にささげるからこそ、子が親となるのぢゃ。 判りたか。 赤ん坊のお尻をふいてやることもあるであろうがな。 そなたが赤ん坊と同じであったら出来ない芸当ぞ。 お尻を出すものがあっても、決して怒ってはならん。 子のお尻と思ってきれいにふいてやれよと申してあろうが。 お尻を持ち込まれるのは、持ち込まれるだけのわけがあるからぞ。 利子は後から支払えばよいと、そなたは思ってゐるが、先に支払ふこともあるのであるぞ。 先にお尻をふかねばならんことも、世が迫ってくると出てくるのぢゃ。 その代り、後では神がそなたのお尻をきれいにふいて下さるぞ。 ぶつぶつ申さずに勇んでやって下されよ。 そなたは他にものを与えることに心せねばならんぞ。 与えることは頂くことになるのであるから、与えさしてもらう感謝の心がなければならんぞ。 強く押すと強く、弱く押すと弱くはねかえってくること、よく知って居ろうがな。 自分のものと云ふものは何一つないこと、よく判って居る筈ぢゃ。 |
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