| 日月神示 ( 847 ) 補 巻 月光の巻 60 帖 1959年03月03日 |
| そなたは自分の力を人に見せようとしてゐるが、無邪気なものぢゃのう。
自分の力がかくせぬようでは、頭に立つこと出来んぞ。 何も彼も出して了ったのでは味がなくなるぞ。 そなたはよく祈る。 祈ることは結構であるなれど、祈るばかりでものごと成就せんぞ。 為すには先づ祈らねばならんが、そなたはそなたの神にのみ祈ってゐるぞ。 為すのは己であるから、己にゐのらねばならんぞ。 己に祈りた後、己が為さねばならんぞ。 乳房与えられても自分で吸はねば自分の身にはつかぬ道理ぢゃ。 だが、為したのみでは未だ足らんぞ。 時々は省みなければならんぞ。 そなたは形や口先ばかりでものを拝んでゐるが、心と行と口と三つそろはねばならん。 三つ揃ふて拝むならば、どんなものでも与へられるのぢゃ。 拝む所へものは集まってくる。 神も集まってくる。 足らぬものなくなるぞ。 余ることなくなって、満たされるのがまことの富ぢゃ。 清富ぢゃ。 |
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