●信仰の必要性
昨年(2024年)の8月に、私(厳瑞)とT.Kさんの知り合いの方が亡くなられました。
その方は、平素から真面目で温厚で誰にでも優しい方でしたので、亡くなられても天界に入られるであろうと思っておりました処、先日(2025年1月)にT.Kさんの夢にその方が現れて「今のところ、どこにも行く所がない」と出て参りました。
この方について「竜宮の乙姫様」より、「その方は、(中有界で)迷われております、もともと信仰心を持ち合わせておりません、信仰心に芽生える事はとても難しく、もし芽生える事がありましても長い間掛かるものと思われます。」 とこのように伺っております。
これはご本人が、真の信仰が無い為に、いくら真面目で心が優しくても天界に行く事が出来ない為であり、また心は正しいので幽界(地獄)にも行く事もないので、中有界で迷い続けるしかないのです。
※ この状態の事を一般的には「成仏していない」と言うのです。
天界(天国)とは、神の世界であるので、心に神様を信じない者にとっては、その世界は存在しない為に絶対に入ることは出来ない世界なのです。
このように、この現世で信仰に目覚めなかった者が、他界後(死後)に中有界に行ってから真の信仰心に目覚める事は大変難しく、例え目覚めたとしても大変長い年月を有する事になります。
中有界で迷う人は、主に「心は真面目で善ではあっても正しい信仰心の無い者」、また「信仰心はあるが「天界にも入れず幽界に落ちるまでの御霊では無い心(精神)の未熟な者(自愛者など)」、「自殺者」などになります。
●生まれ変り(再生)の人とは
このような中有界で迷う者たちは中有界では「信仰心が芽生え難い」、「御霊は磨かれ難い(成長し難い)」ので、どこにも行けずに信仰心も御霊の成長も進歩も無い為に、中有界で大いに後悔と反省をする事になります。
そこで、本人の御霊が善である場合に再び現世に生まれ変わる事(再生)を希望する事により、神様はその再生の必要性があるとご判断された場合にもう一度、現世で赤子からやり直す再生(生まれ変わり)する事となります。
※ 再生者とは、人生の落第者であり救済する為の追試験のようなものになります。
ですが想像してみてください、もし自分が現世で一生をやり遂げた後に、生前の記憶は全く無い状態で再び赤子となって生まれ、また人生を最初からやり直したいと思うでしょうか?
しかも、生前の記憶もない為に、真の信仰心に目覚める事や、正しく御霊が磨かれるという保証も全く無く、
むしろ、元々持ち合わせている御霊は一度落第した御霊であり、生まれ変わっても御霊本来の本質は変わらない為に
生前と同じような事を繰り返す事になり易いので、無信仰だった者が真の信仰に目覚める事も難しく、また御霊も現世の俗世の風習に飲まれ、更に御霊を落とす事になる可能性もあるのです。
それでも生まれ変わりを強く希望する者は、生前に強く深い後悔や未練を残している者が再生を希望するのです。
主に再生(生まれ変わり)する人は
「心は正しく良いけれど、信仰心の無い者」
「信仰心はあるが、心が未熟(自愛の人)な者」
・これらの天界に入れないが、幽界にも落ちないような御霊の者。
・善なる御霊であり、かつ本人が再生を希望する事で、神様がご判断され許可される事になる。
・再生されるまでの期間は、その人の御霊より異なり早い人も遅い人もいます。
※ 幽界に落ちる御霊は、中有界からすぐに幽界に行く事になります。
※ 自殺者は、本人の本来の寿命までの年数を中有界で迷う事になります。
●人間として現世に生きている間の大切さ
人間は、現世において様々な異なる思想の人と触れ合いながら、善や悪を見聞きし経験する中で、自身で何を選択し、どのように心に感じ思うのかを学び、思想を成長させる事が大切になります。
これは、自身の中に鎮まる御霊の本質に目覚め、心正しく成長し天界の天人となる為の修行の場として現世に生まれて来るのです。
自らの「御霊(心)を磨く事」と「真の信仰を培う事」は、この現世にいる間にしか出来ませんので、
大いなる神様の恩恵に対して心向き合い、神様に崇敬の念を抱き培う事が大切な事になります。
★ 天界に入るために絶対に必要な事は
・真の信仰心に目覚め培う事
・自らの霊魂の本質に目覚める事(人と交流し、他者を思いやり、善悪を判断し、誠を行う等の御魂本来の働き)
★ 【これらを自らがしっかりと理解して培い、そして「この事を人に伝える事」が人を救う事(天界に導く者)となるのです。】
中には、信仰を敬遠したり否定する人が居りますが、片意地を張って神様(信仰)を否定する意味は全く無い事なのですが、
そのように否定や敬遠する人は、既に知らず知らずに神様によって頂いている大自然の恩恵を当たり前のように捉え、
あらためて、とても尊く有難い事であるとは到底思えないような既に曇った心となっているのです。
このような人は、この真の信仰をする意味を「ただ知らない人」なのです。
これは、人から恩を受けて「ありがとう」と思えず言えない人と同じ事なのです。
真の信仰とは、自らが神様に心から向き合う事であり、団体に属したり、金銭的に負担が掛かるものでは無く、純粋に神様を信じて敬い、大自然の恩恵に感謝するという、自らの為の信仰であり、自らの「心のよりどころ」となるものなのです。
また信仰は、神道以外でも、仏教の如来、キリスト教の主(神)などを信じる者は、天界のそれぞれの信じる世界に入る事になります。
(※今後の 三千世界の立て替え完了後は、再編されて神界に入る事になります。)
●誤った信仰とは
たとえ神様を信じていても、何らかの益を目的とした願掛けなどのご利益を目的とした欲得の為のみの信仰では、
自らの願いを叶えるために神様を利用している事であり、真の信仰ではないのです。
近年では、「ご縁がありますように」などとお賽銭にも願を込めて5円を神様に投げつけて、さらに自分の願いを神様に申し伝えるなどは、正しい真の信仰ではないのです。
そもそも神社参拝は、神様が日夜弛まずご活動(お守り)頂いている事に感謝をする為に行くものであり、
お賽銭とは、その大切な神社を、汚さずに綺麗に維持管理して頂く為の心ばかりのご寄付なのです。
決してお賽銭は、神様にお願い事を叶えてもらう為の対価では無いのです。
ましてや5円程度では今時は何も買える物は何も無いのです。
今のうちに、俗世的な誤った自分本位な欲得の為の信仰を改めて、純粋に神様を信じられる真の心をつくり上げる事が大切となるのです。
現世にいる、今しかできないのです。
厳瑞

