真の守護霊とは・霊魂/信仰の本質の目覚め

●真の守護霊とは

世間では、「自分の守護霊は祖父母などで自分を守ってくれて居る」などと言われている方が居られますが、実際にはそのような守護霊は居ないのです。

人間は、母親の母体内で受胎した時から身体形成されるまでに、五男三女神の御精霊を大神様より給わり

五男神の霊魂と自らの霊魂は融合し一体となり、自らの霊魂(心)として心を守護し、
三女神の精霊体(霊体)と自らの身体は一体となり自らの体を守護しております。

その一体となった霊魂(自分と五男神)を守護するのは、一体となった体(自身と三女神)であり、
一体となった体(自身と三女神)を守護するのは、一体となった霊魂(自分と五男神)となるのです。

このように自身の霊魂と身体は、大神様より与えられた五男三女神の神様と融合して日夜休まずに自らを御守護されているのです。
この事から、五男三女神の御精霊の神様の事を「守護神」と言うのです。
この神々様こそが、「自身にとって唯一の真の守護神」であり、その他の神様がお守りされる事は通常無いのです。

神様は「身近に居る、内に居る」とも言われますが、神様は既に自分と一体になっているのです。

そして、自身の思想の乱れにより自らを曇らせた霊魂を、真の守護している尊い神々様は、一身に全ての罪汚れを背負い、只ひたすらにお守りくだされている事の恩と有難さを皆さんは知らずに、また見向きもせずに蔑ろにしてしまっているのです。

この事を知らずに、自らのご利益の為に他の神様を求め すがる事をして、大変に失礼で勿体ない事しているのです。

「健全な身体に善なる霊魂は鎮まり、善良な霊魂に身体は健全に保たれるのです」

※ この守護されている三女伸の精霊体の姿は、人間として生まれてから年月が経過すると、現世の自身の姿形と類似してくるものです。

※ また、自らを守ってくれている守護霊が祖父母等と信じている者は、この御精霊の姿や面影が祖父母のように見えたり感じたりするのですが、皆さんが守護霊と思い込んでいる霊は、自らの御精霊であるのです。

五男の神様とは、
・天之忍穂耳神様(あめのおしほみみのかみさま)
・天之菩卑能神様(あめのほひのかみさま)
・天津日子根神様(あまつひこねのかみさま)
・活津日子根神様(いくつひこねのかみさま)
・熊野久須毘神様(くまのくすびのかみさま)

三女神の神々様とは、
・多紀理毘売神様(たぎりひめのかみさま)
・多岐都比売神様(たぎつひめのかみさま)
・市寸島比売神様(いちきしまひめのかみさま)

詳しくは、【改心の理 9「五男三女神」】・【改心の理 8「四魂の働き」】に御座いますのでご覧ください。

●霊魂の本質の目覚め

日常生活において、自らの思想が乱れ悪しき事を思考したなどの際には、自らの良心により その悪しき思考を制御して心を正す働きが成されます。
この善悪を判断し自らの心を正す良心の働きこそが、自らを守護している五男の神々様の働きであるのです。
この働きにより、自らが悪しき思想に陥らないように、心は正され善良に維持されているのです。

ですが、自らの自愛の精神や欲得が過度に強くなると、この自らを制御する働きを上回り、自らの誘惑に妥協し流されて自制が効かなくなります。

これは、自らの欲得に自らが囚われる為に、正しく善悪の判断が冷静に出来ない状態であり、
「善良なる霊魂の本質的の働き(五男神)」に背いている状態となります。

この時、本能的には善悪を理解している為に、理屈を付けて自らを正当化する自己擁護や、自分の判断が正しいと他者からの擁護を求めるような行為をするものです。

このような自分本位の自愛の精神に囚われている時の、五男の神様(霊魂の本質)の状態は、
(神様を)心の中心より隅に追いやってしまい、自らの思いに自らが囚われた「我を心の中心に据えた」状態であり、
自らが(神の)良心に対して効く耳を持たないようになります。

その為に、霊魂の本質(五男神)の働きは抑制され活動は停止されて休眠状態(休止状態)となる為に、内流は途絶えて智慧証覚が働かず、自らの思想や感性は貧祖となり誠の良心は見失われてしまうのです。
この状態の事を「我が中心に座る」とお伝えをしてきたのです。

また、霊魂の本質(五男神)の働きが休眠状態となり内流が途絶えるので、身体を守護するの三女神の働きも弱る事になります、
これにより自らの精神(心)が弱り侵されると、その影響で身体に変調をきたし肉体的な不和が生じて病となって表れる事になります。

今の世の人々は、この霊魂の本質(五男神)の活動が殆ど休眠状態となっている為に、本来の「御霊の本質に目覚める事」が必要なのです。
自らの中に眠る「真の霊魂の本質」に気が付き、自らの過度の欲得や悪しき自我を制御するように意識するように心掛ける事が大切となります。

自らの心身を正しく健全に保ち「(五男神の)霊魂の本質」と「自らの心」が一致する事を「真の神人合一(しんじんごういつ)」と言うのです。

この神人合一とは、一般的には自らの身体に、神様が明らかに御懸りされた状態を言いますが、
これは日月神示でも御座いますように、傍から神懸かりと分かるような神懸かりは全く必要としないのです。

また、自らの心が、五男神の霊魂の本質の御心に帰一する事を「真の帰神」と言うのです。
※帰神とは「帰神術」の事であり、神懸りの事を言いますが、大本教では「鎮魂帰神法」と言われ一般的に広まりましたが、正確には「鎮魂法」「帰神術」は別の目的のものであります。

この事を、日月神示では「臣民の肉体神の宮となる時ざぞ」「みがけた人が神のお宮ぞ」と言われているのです。

この「霊魂の本質」と「自らの心」が合一する為には、自らの欲得の誘惑に囚われず、また押し通さずに、心を純粋に素直となる事が必要となりますが、この状態になる為に日月神示では「生まれ赤子になりなさい」とお伝えされているのです。

これは、自らを正しく健全な心を維持するためには、自らが初心を忘れずに心を純粋に素直に謙虚に持ち続ける事が必要となり、
この初心の心を持ち続ける事で、自らが思い上がり慢心する事がなく、自らに厳しく改め正し律する事が出来るのです。

この自らの心に「眠れる真の霊魂の本質に目覚める」事を、自らの「岩戸開き」と言うのです。

●信仰の本質の目覚め

自らの霊魂の本質に目覚め、そして更に霊魂を磨く為には、真の信仰に目覚める必要があります。
それは、今現在、皆さんがそれぞれに信仰している既存の宗教を通じて、さらにそこから人間として真の神に対する真の信仰を見出す事なのです。

信仰とは心から神様に向き合う事(自らが神様を思う事)であり、
純粋な気持ちで神様を信じ思う事によって、神様からの内流がおこり、それにより「霊魂の本質」の働きは強まるので、
自らの霊魂(心)は正しく保たれ感性豊かに心優しく穏やかに育まれて行くものです。

このように、本来、信仰を行う為には宗教の団体に属する必要は無いのです。

ですが、さらに自らの心を磨き高めたいけど自らだけでは学び覚り得る事の出来ない時に、
同じような思想の志を持ち、心のあり方など誠の理(みち)を伝えて指導してくれる所が宗教の緒団体のあるべき姿なのです。

宗教の団体に属する事は「その団体に対する功績の為」や、金銭や地位など団体内での利得の為の信仰ではないのです。
また「団体に所属さえすれば何らかの恩恵が得られるから安心」などという事は一切なく、全て自らの思想(心)次第となります。

ましてや、宗教による人間同士の争いや、自らの団体のみが絶対で全てである、と言うような閉鎖的な団体は、自らの団体の為の信仰であり、真の神様の本質が全く理解されていない、神を利用した信仰の抜けた団体となるのです。

真の信仰の対象の神様とは、この大宇宙を創造され運行されておられる大神様であり、そのような小さな人間心をお喜びされるような神様である筈はないのです。

このような事を知らずに勘違いして、信仰や宗教団体に対して毛嫌いし避難している人は「信仰と宗教、神様の本質を知らない人」なのです。

信仰とは、人知を超えた大宇宙の幽玄世界や大自然の天地のご活動を、神様の力(働き)と捉えて、
日夜、当たり前のごとく我々に与えて頂いている大自然の「日、月、大地、火、水、雨風など」様々な恩恵に対して「心から有難い」と感じ取れ思える感性を持ち合わせて、そして「素直にありがとう」と言える事であります。
これだけでもう立派な信仰者なのです。
※ 神様は金銭ではなく、唯一受け取られるのは「真心からの感謝」の思いだけなのです。

人として、対外的に関心を持ち、より広くに目を向けて大自然の神様の恩恵に対して、また人に対して「有難い事」と素直に感じ取れる事が
自らの心を感性豊かに育み磨く事となります。
大自然の恩恵や人からの恩恵に対して、当たり前で当然などという自らの認識と常識を排除して、自らの閉ざされ見失われた感性を豊かに育み磨く事が、自らを助け、他者を助け、世を助ける事となるのです。
これが御霊を磨くという事なのです。

人間として寿命を終えると次の世に行きますが、その中の天界の世界とは神の世界であり、心の世界であり、神様を心から信じ仰ぐ(崇める)事の「信仰」を持ち合わせている人の行く世界となります。
しかし、神様を見出す事の出来ない人は天界に入る事は絶対に出来ない世界となります。
それは、自らが神を信じていない、心に神が無いので、自らには存在しない世界である為に絶対に入る事が出来ないのです。
※ 仏教を信じる人は、天界の中の仏教界に行きます。またキリスト教を信じる人は天界の中のキリスト教界に属する事になりますが、今後は併合される事になります。

信仰の大切さを知り、他者に信仰をお伝えする際に「抵抗を感じて臆し」たり、また「何を伝えたら分からない」という人は、
これらの信仰の本質をしっかりと理解されていない為なのです。

人として自らが純粋に神様を心から信じ、自らの心を豊かに育み磨き高める事は、全ての人間が有する「霊魂の本質」なのです。
その自らの中に眠る「霊魂の本質」に自らが目覚めて、「霊魂の本質」の働きに背かずに向き合い素直に純粋に自らを和合させて行く事です。
そして自らが学び真に良かれと思う事を、それを必要とする人に対して惜しみなくお伝えしてあげる事なのです。

今回お伝えしました【 霊魂の本質に目覚める事 】と【 真の信仰に目覚める事 】が人間として最も重要な事であり、これらに目覚める事を日月神示では「﹅」(ホチ)を入れると言われているのです。

※ ホチが抜けているとは、自らの心に真の神と真の信仰心が抜けている状態の事なのです。

厳瑞

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