霊魂の理2「神幽顕の三千世界1」

元津祖神様の創造された大宇宙は、大きく分けて、神界(天界)、幽界、顕界(現世)の三千世界があります。
天界と幽界は霊の世界(霊界)であり、その霊界と顕界の中間には、霊と物質の中間的な世界である中界(中有界)が御座います。

本田親徳翁は、霊界には正神界は181の階級があり、また妖魅界にも181の階級があり、合わせて362の階級があると伝えられております。

これは正神の神懸かりには、無形(幽)に自感法、他感法、神感法のそれぞれに上中下の三法があり合計九法、

有形(顕)に自感法、他感法、神感法のそれぞれに上中下の三法があり合計九法、幽顕合わせて十八法。

邪神界の神懸かりも同じく十八法あり、合わせて三十六法となり、それをさらに10段階に細分化して三百六十法 + 二法とされております。

これは、大宇宙の霊界の天球を360度に分け、中央水平線より上半分の180度を正神界(天界)、下半分の180度を邪神界(幽界)とに分け、さらに天界の上の天極と、幽界の下の地極をあわせて362の階級に区分けされました。

ですが実際の霊界はこのように明確に区分けされている訳ではなく、さらに多くの無限の階級(次元)が存在しているのです。

正神の神懸かり 合計18法(180+1)
無形(幽)
・自感法 上中下の三法
・他感法 上中下の三法
・神感法 上中下の三法
有形(顕)
・自感法 上中下の三法
・他感法 上中下の三法
・神感法 上中下の三法

邪神の神懸かり 合計18法(180+1)
無形(幽)
・自感法 上中下の三法
・他感法 上中下の三法
・神感法 上中下の三法
有形(顕)
・自感法 上中下の三法
・他感法 上中下の三法
・神感法 上中下の三法

■無形(幽)神懸とは、神懸かり時において憑霊現象が現れず、一見して憑霊していると分からない状態の神懸であり、
本人も神懸かりと気が付かない事もあります。

■有形(顕)神懸とは、神懸かり時において憑霊現象として現れるもので一見して憑霊と判別できる状態の神懸。

■自感法とは、自らの鎮魂力にて神界に至り、御神霊に感応する事

■他感法とは、他力によって神界に至り御神霊に感応する事で、これは審神者と神主の二員で行い、御神霊(眷属神)が神主に懸かられる事になります。(古法式では琴師の三員で執行されていました)

■神感法とは、神界の御意思により御神霊が憑依して託宣される事

※ 世の中には、〇〇の神からのメッセージなどと言われている人が居られますが、
名のある神様が真の意味も必要性もなく、またむやみに御懸かりされる事は絶対に無い事なのです。
神懸かりの稽古においても、最初にお懸かりされるのは普通眷属の御神霊であり、
高等眷属ともなると特別の御用以外は懸かられる事はないのです。

※ 長澤翁は審神者には、
「神典学、国史学、律令格式学、歌学、物語日記学、古実諸礼学、軍学、音律学、日本学、系統学、古医学、灵学(霊学)」の十二科が必要と申されております。
特に本田翁の「道之大原」、「真道問対」は霊学の基礎になりますので必読し理解する事が必要となります。

これらを知らぬと神懸かりの際には、御神霊の正邪の判別も対処も出来ないものであり、また何よりも真の神界に通じる事が出来ないのです。

また、審神者は神界に通じる為の真の鎮魂力を有する必要があり、
指導者としての自覚と共に、自らの「浄心と弛まぬ奉仕精神と勤勉」により自らが体得しなければなりません。

※ 神主は、心が正しく素直で純粋であり、正しい神様を知り心から神様を信じ敬う心を持ち合わせる事が必要となります。
これは鎮魂においても必要不可欠な事となります。
詳しくは、またお伝え致します。

■霊界は、神への信仰と心の在り方によって自らに相応しい世界に行く事になります。

天界(神界)は「神を信じる者が行く善良な心の世界」であり、幽界は「神を否定し信じない者の行く邪悪な心の世界」になります。
また、天界や幽界では、自らの霊魂(心)に相応した階層の団体などで生活する事になります。

神に対する信仰心のない人は天界には行きませんが、たとえ信仰心があっても悪い神(邪神)を信仰する者は幽界に行く事になります。
また無神論者や無信仰の者、自分本位ので自己中心的な人、自己愛の強い人も幽界に行く事になります。

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■天界に行くような人
・真の神を信仰する人
・善良な心を有する人
「善なる愛の心を有する人」
「真に美しき心を有する人」
「真の智慧を有する人」

■幽界に行くような人
・邪神(悪魔)を信仰する者
・無神論者、無信仰者
・邪悪な心の人
「自分本位、自己中心的な人(我良しの人)」
「自己愛の強い人」
「嘘偽る人、悪心の人」

■どちらにも行けない人(中有界で長く迷う人)
・真面目で心優しい人であるが、無信仰や無神論者の人

※ 中有界に行ってから信仰心に芽生える事はとても難しく、もし芽生える事がありましても長い間掛かるものです。
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■天界に行く為には、正しい神を信じる事と共に、善良な心が必要になりますが、
自らを善良の心とする為には、神を信仰し、その神の大精神から生じる大歓喜から愛善と真信の精神が芽生える事で善良な心となるのです。

大神様の生成化育の大精神が無限に広がり弥益々に栄え行く事を「弥栄」と言い、
この大精神が栄え行く事こそが「大歓喜」となるのです。
これが全ての生命に宿る霊魂(たま)の本質なのです。

また、この霊魂の大歓喜により、善良なる愛善と真信の精神が芽生えるのです。
この流れに心身を任せて活動する事を「理」(みち)と言うのです。
つまり、大神様に対する信仰が中心であり、そこから善良なる精神が芽生え現れるのです。

※ 日月神示で「弥栄、大歓喜」と言っているのはこの意味であり、拝礼時に「弥栄ましませ」と唱えるのです。

■今の現世において、宗教に対して疑念により敬遠して信仰に対して拒絶している人が多くおられますが、
それは、巷の宗教団体による悪質で詐欺まがいな勧誘や多額の金銭の要求などや、団体に属するとご「利益や助かる」等と言う謳い文句により唆す事をして人に恐怖を与え、欺き騙し、争い、人に害を及ぼすような悪質な宗教団体を見聞きしている為に、
自らは関ると危険で恐ろしいので避けている為であります。

ですが、この事で勘違いや混同されている方が多く居られますが、宗教団体に属する事と、神を信仰する事とは全く異なるものであり、「団体に属さないと信仰できない」、また「真の神様に通じない」などと言う事は無いのです。

自らの心に神を信じて思う事、これを信仰というのです。

悪しき宗教団体を見て、神への信仰する事を敬遠され拒絶し閉ざすという事は誤りであり、
しっかりと自身の心の目を見開いて、自らが真の神を理解して「自らが直接に神を信じて向き合う」という自らの信仰を行えば良いのです。

この真の信仰を行うには、お金も、場所も施設や設備も、しがらみも、強制も何にも要らないのです、
あなた自身の純粋な真心さえあれば真の信仰が出来るのです。

信仰する事に迷われている方々に、自らの霊魂の本能の進むべき道を閉ざさずに「自らの為の真の信仰をされる事」を切に願います。
この為に、少しでも多くの皆さんに真の信仰をお伝えさせて頂いております。

厳瑞

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