霊魂の理4「中有界について」 

中有界とは、神道では「天の八衢」、キリスト教では「精霊界」、仏教では「六道の辻」と言い、
人間が死後に最初に行く現世と霊界との中間的な世界となります。
 
この中有界では、現世の物質的世界から霊的世界に移行する為に、霊魂を清算して次の世界に行く為の準備をする、
天界と幽界への岐路となる世界になります。
 
この中有界では、自らの霊魂は大きく分けて「外分の状態」「内分の状態」「準備の状態」の三段階の状態に変化します。
 
 
■【外分の状態】
 
人間の死の直後は、肉体から霊魂が抜け出し、霊魂は生前の記憶と想念や物質的な様々な執着心など生前時の心の状態を維持したまま中有界に行きます。
 
そこでは、自らの生前の人生を走馬灯のように見せられると言われますが、
これは自らの霊魂に記憶されている生前の全ての記憶であり、
その中の「肉体的な感覚や動作、物質的感覚、頭脳の記憶や知識など、また本心を取り繕った表面的な心や想念、情動」の外分(外部)が清算されて、霊魂は本心の状態へとなります。
この最初の状態の事を、第一段階の「外分の状態」と言います。
 
※ 人間の葬儀の際に、三途の川を渡る渡し銭として冥銭・六文銭などを持たせたりしますが、
また、六文銭を持たない死者の場合は、奪衣婆により衣類を剥ぎ取られると言われますが、
これは、中有界において最初に現世の物質的な外分を削ぎ落とされるという事なのです。
 
この最初の外分の状態は、既に霊体となった為に物質や肉体的感覚が次第に薄れてくるのであまり長くは続きません。
しかし、現世の家族や物事に対して後悔等の心残り、災難や病気や事故等による肉体的苦痛等の強い執着心がある場合は外分が取れ難くなります。
また、生前において善を装って内心で悪を抱き、自らの本心や他人を欺き取り繕っていたような偽善者や虚勢や見栄を張る人は、自らの本心を必死で隠そうとする為に外分がとても取れ難くなるので、中有界に留まる期間がとても長くなります。
 
■中有界に来て間もない時に、自身の身体がある為に自分は死んではおらず生きていると思い込んでいる者もいます。
これは、肉親の「戻ってきて欲しい、寂しい、悲しい」等の強い思いが死者に通じるので、死者は現世の感覚を拭え難くなる為にそのように思い込む事になります。
 
※ このように、親族からの強い思いによって故人は現世に心惹かれてしまい、霊界に行く為の障害となってしまう事になりますので、残された親族は、神様にお導き賜ります事と、「自らの進むべき道を進まれますように」と故人に対して祈念して送り出してあげる気持ちを持つ事が大切になります。
 
 
■【内分の状態】
 
霊魂は、次第に物質的な外分の感覚が無くなり、本心のままの霊的な内分(内部)の状態に入って行きます。
これを第二段階の「内分(本心)の状態」と言います。
 
内分とは、自分の真の心の状態であり、この内分の状態となって初めて自分の本心を知る事が出来るのです。
 
・この時、自分本来の霊魂の霊性となるので、内分の差異によって霊人の容姿は、
内分が麗しい霊人は美しくなり、内分が醜ければ醜くなり、
内分が善の霊人は善人の顔、内分が悪の霊人は悪人の顔などへと容姿が変化します。
 
このように霊人は、生前の時の容姿とは異なり、内分次第で容姿が変化して霊魂本来の姿になりますので、
生前では絶世の美女であっても醜女となったり、その反対に醜女が絶世の美女ともなります。
 
・また、この内分次第で自らが次に行く境域が定まる事になります。
生前時において、心に偽りのなく信仰心があり、善良の精神であった霊人は、光明の光に包まれた天界に行く為の準備の状態となります。
しかし、無信仰で心に偽りのある人、自己中心的で自我が強い自己愛者や、他者をも思いやる事のない薄情な人、邪神や悪魔崇拝者などは、この状態から暗黒の幽界の世界への道が開かれて進む事になります。
 
 
■【準備の状態】
 
内分の状態により、天界に行く霊人は、天界での生活をする為に必要な知識と教育を与えられ準備をします。
これを第三段階の「準備の状態」と言います。
但し、幽界に行く霊人はこの状態はありません。
 
・この準備の状態になると、全ての人が産土神とお会いする事になります。
※但し、産土神は、日本国のように各地域毎に祀られて崇拝されているのは日本のみであるので、産土神にお会いするのは日本国で生まれた人のみとなります。
※ 幽界に行く人は、産土神にお会いする事はありません
 
・天界に入る為の準備が終わると、自らの進むべき相応しき天界への道が現れて進む事になります。
 
 
■【中有界において】
 
■ この中有界は、生存時に於て正しい信仰心があり、そして既に霊魂を精算している善良な霊人は、他界後にこの中間世界に留まる必要はなく、それぞれの霊魂に相応した霊界に直ちに行く事になります。
 
しかし、現世において霊魂が清算されていない殆どの人、また信仰心の無い人や天界に入れない人は、霊魂の清算が終わるまで中有界に留まりそこで真実を知り教育される事になります。
 
この中有界での「外分、内分、準備」の全期間は、平均すると約 五十日前後となり、神道では五十日目に「五十日祭」を行われます。
※ 仏教では四十九日とされております。
 
また、偽善者や虚勢や見栄を張る人、執着の強い人などは、自らの本心を偽り隠そうとす意識がとても強い為に、外分が取れ難くなりますので中有界に留まる期間は十五年~二十年位と大変に長く要する人もいます。
 
※ また、内心では人を欺き、陥れる為に悪い事を考えながら、表向きに人には善を装うような偽善者や、神を認めず批判していた無神論者や信仰心が無い人、また宗教的に指導する立場の者が、真の教えを自らの利権の為に都合よく曲げて解釈して人々を惑わせるような人達は、直に幽界に落ちて永遠にその世界に居る事となります。
ですが、この人達にとってはとても居心地の良い理想の世界と感じるのです。
 
■ 中有界で、信仰心が無い為に天界に入れないが、真面目で心優しく幽界に行くまでではない者は、長い期間を中有界でさ迷い続ける事になります。
 
そこで、本人が「また現世で生まれ変わって最初からやり直したい」と強く希望する場合は、
当人の霊魂(心)が善良であり神様が再生の必要があるとご判断された場合には、
現世で、再び赤子からやり直す再生(生まれ変わり)をする事となります。
 
しかし、例え現世に再生しても生前の記憶は無く、自身の霊魂本来の本質も変わらない為に、再生しても信仰心に目覚めるとは限らず、むしろ生前時と同じような事を繰り返す事になり易い事なのです。
 
※ 再生者とは、人生の落第者であり救済する為の追試験のようなものになります。
 
※ 一度人生を経験した者が、赤子からの人生を何十年もまたやり直そうとは余り思わないものですが、
それでも生まれ変わりを強く希望する人とは、生前時にとても強い後悔や未練を残している人が再生を希望するのです。
 
※ 主に再生(生まれ変わり)をする人は
・天界に入れないが、幽界にも落ちないような御霊の者
「心は正しく良いけれど、信仰心の無い人」
「信仰心はあるが、心が未熟な人」
・善なる御霊であり、かつ本人が再生を希望する事で、神様がご判断され許可される事になる。
・幽界に居た者で改心して中有界に来た者。
・再生されるまでの期間は、その人の御霊より異なり早い人も遅い人もいます。
 
※ 幽界に落ちる御霊の人は、中有界の内分の状態から幽界に行く事になります。
 
 
■ 生前時に、強い執着心や動物的な本能に近い霊魂の人は、霊魂が降格して現世に動物の姿となって再び生まれる「転生」となる事があります。
※ 転生とは、人間から動物等に転がり落ちて生まれる霊魂の事になります。

※ 日月神示では「この世に生れて、この世の行せねば、生れた時より悪くなるぞ。草木より役に立たんものとなるぞ。草木に変へると申してあらう。神が変へるのでない。自分でなり下がるのであるぞ。」
これは人間の霊魂が劣化して降格となり、動物や虫、さらに働きが無いと草木の霊魂へと転生となって生まれ変わる事を言われているのです。
 
■ 中有界には、肉体的精霊が団体を作って、現世の人に崇めさせる為に誘惑や悪さを行う者達が居ます。
この肉体的精霊とは「天狗、仙人、狐狸、猫、大蛇」などであり、これらの霊の事を妖魅霊や兇党界の悪霊と言いますが
元は人間であり、人間の霊魂が変貌した者達になります。
※ これを日月神示では、○○風(てき)と言っているのです。
「人霊以外の霊で人民に憑依するのは、日本では天狗風、神風、仙人風、狐風、狸風、猫風などが大部分であるから気つけおくぞ。」
 
※ 大蛇(オロチ)や九尾(キュウビ)は元は神獣であり、霊的に生れ出た神獣は元々は悪しきものでは無いのです。
 
■ 元々動物の御霊は、純粋で通常人間に悪さをする事は無いのですが、悪さをするこれらの悪霊とは、人間の想念が執着、嘘偽、暴力的になり人間の霊魂が天狗や動物的に劣化し変化した者達なのです。
 
■ 鎮魂の初期に見えたり聞こえたりする人は、これらの悪霊と自らの思想が近いが為に感応する為であり、そして自分達の妖魅の世界に誘い引き入れる事をする悪霊なのです。
これを「妖魅の誘い」と言います。
 
■ 神社等で、自らの欲望の為に願掛けをすると、これら低級霊の想念と感応(同調)して影響を受ける事があります。
特に商売繁盛や病気治癒などでご利益があると言われる有名な稲荷社等の神社や仏閣では、この妖魅界、兇党界の低級霊がすぐに良く働く為に、願いは顕著に叶うものです。
 
しかし、これらの妖魅の低級霊は、願いを叶える事で信じ込ませて、自らを神として崇めさせて仲間に引き込む為であるので大変危険な事なのです。
 
また、これら妖魅霊は人間の精霊に強く感応し憑霊すると、人間の精神は不安定になり思考や言動、目つきなども普通ではないような状態になる事があります、これを俗に言う「狐憑き」などと言われるますが、それはこの憑霊の事なのです。
 
また、病気による「てんかん」は、発作時に口から泡を吹いたり失神したりしますが、
これは、大概は妖魅などの低級霊による憑依によるものであり、低級霊が身体から「出る時と入る時」に発作を起こす為なのです。
 
※ このような憑霊体質の人は、正しい神様を信仰をされる事や思想を高めたり、酷い場合には祓いが必要になります。
 
※ 憑依霊は、憑霊した人間を自分の体と思い込んだり、自分を「神」と言い出鱈目な事を言う事もあります。
 
■ 自殺した人は、神様による神罰などは御座いませんが、自らの罪の意識により自らを責め苦思いに苛まれて中有界で大変に長い期間をさ迷い苦しむ事になります。
 
■ 中有界では、生前の家族や親友などと会う事が出来きますが、
これは、両者共に中有界に居る場合であり、どちらか一方が天界や幽界に入った場合は会う事は出来ません。
ですが、同じ信仰や思想により同じ天界に入った場合は、再び会う事ができる場合が御座います。
 
■ 中有界から天界に行く人が、天界を見ると光明に満たされている世界に見えますが、幽界を見ると暗黒に満たされた世界に見えるものです。
 
しかし、幽界に行く人からは、天界を暗黒と感じ、幽界を光と開かれた世界と感じるもので、他からは暗黒の世界に見えようとも本人にはとても居心地の良い世界と思えるのです。
 
このように、中有界は、天界や幽界などに無数に分かれている道の世界であるが、自らに最も相応しく進むべき道を迷うことなく進む事が出来るのです。
 
■ 天界とは「神を中心とした神を信じる世界」なので無神論者や自己中心的な人は幽界に行く事になります。
 
■ 霊界は、自らの心の本質に見合った世界に行く事になりますので、たとえ生前の地位、名誉、財産があろうとも全く関係のない世界であり、霊魂(心)が全ての世界となります。
 
  
 
厳瑞

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