善と悪との判断は、一般的には文化、歴史、法律、風習、習慣、宗教、組織などの世常をもとに判断され、
個人の範囲内での善悪の判断は、これまでの自らの経験や知識などから善と悪に分類し判断してるものが多いかと思われます。
しかし、この個人範囲での判断基準は個人差があり、とても曖昧なもので自らの意識や値観が変われば善悪の基準も変わり、自らは善と思う事も人からは悪と思う事もあります。
これは、天界においても階層が異なると思想や想念も異なり、善と思われていた事も、悪とも捉えられるような違いがあるのです。
また、善を意識し善を追求する事は、自らの意識の中に悪の存在を生み出す事になります。
それは、善と悪とを判断する基準を自らに定義する為に、善への意識が強くなると共に、悪に対する意識も強くなります。
すると自他を問わずに悪の基準にあてはまる人を嫌悪し排除しようとする事にもなります。
これが次第に無意識で行われるようになってしまうのです。
また、善悪または白黒と両極端な捉え方をする事は、精神が対極的で極端な思想に偏りやすく、
思考や判断が「好きか嫌い」などのように決めつけてしまう単調な精神(霊魂)となってしまう事にもなってしまいます。
※ これは自らがそのようにしてしまうのです。
人間の心とは無限に様々な事を感じ取る事も思う事も感性を豊かにする事も出来るものです。
この感性を豊かに心を磨く事で、他者の微細な心を感じ取り思いやる事ができるので、必要な時には手助けや心配りをする事が出来るのです。
本来、日本の民族は、国魂神や産土神の働きがとても強いので、霊魂はとても繊細で質が高く感性はとても豊かであり、様々な音を繊細に聞き分けて心や物事を巧みに言葉で表現できる生きた言霊の幸う国の民であります。
このような感性豊かに心穏やかになる為には、物事を善悪や白黒のような両極端で単調な捉え方をするのではなく、
意識して柔軟で様々な思案するように心がけて行くと、自らの精神も冷静になり、状況判断や理解も深まるので物事に適切に対処出来るようになります。これが霊魂(心)を磨く事にもなるのです。
心を正しく修正して改める為には、真の正しい心のあり方や働きを理解し、そして自らの現状の心の状態を知らなければ修正する事ができません。
真の心にする為には
1、真神に対する真の信仰心を持つ事
2、真の正しい心(霊魂の本質)の働きを知り理解する事。
3、現在の自らの心の状態を知る事。
4、霊魂の本質の働きに自らが和合する事
(心を正しく改め修正する)
これまでは、心を豊かに健全に育む為に必要とされる、真の心(霊魂)の本質的な働きが示されて来なかった為に、
既に、自らが「悪心や自己愛などの我中心の貧祖な心」となってしまっている事にも気付かずにいるので、今さら自らの心を正しく改め修正しようとも思わないのです。
また、改めようと思っても正し方や方法が分からない為に改め修正する事がとても難しかったのです。
人間の心(霊魂)とは、元津大神様による生成化育の大精神の分派であるので、その大精神は全ての人の心(霊魂)に継承され活動しているものなのです。
しかし、現状の世常に囚われ、神の大いなる恩恵に対する感謝を忘れ、真の信仰心を失い自己中心的な我良しの精神に自らが飲み込まれてしまう為に、大神様より脈々と継承されている大精神の内流は活動を停止した状態となり、
真に正しい心(霊魂)の働きがされなくなるので、自らの身体(頭脳も)からの外分的の思考が主体となって行くのです。
この状態を「体主霊従」と言い、我主導の自己中心的な思想へとなります。
長年によって癖付いた心のあり方を、改め修正する事はとても困難な事になりますが、
悪しき行為を改めるだけではなく、悪しきその行為をするに至った思想を改めて行く事が最も重要な事になります。
そこで、霊魂本来の働きがされる為に必要となるのが「真の信仰心」であり、この真の信仰心を持つ事により大神様からの大精神の内流が再び活動されるようになります。
そして、内流により霊魂本来の働きが次第に強まるので、その本質的な霊魂の働きに自らを委ね和合し心の基準とする事が神中心であり「ゝ(ホチ)を入れる」という事になるのです。
日月神示では、この事を「自分と自分と和合せよ」と言っているのです。
■(812)「自分と自分と和合せよと申してあるが、肉体の自分と魂の自分との和合出来たら、も一段奥の魂と和合せよ。更に、又奥の自分と和合せよ。一番奥の自分は神であるぞ」
■(475)「先づ自分と自分と和合せよ、それが和合の第一歩」
※ これが神を基準とする神中心という天界的な大精神の思想であり、自己中心や自己愛の精神は、我を中心とした幽界的な思想となります。
また、真の大精神の理を理解し、意識して大精神と和合して行くと、自らの霊魂は「愛善」(善なる愛)と「真信」(嘘偽りのないまこと)の精神となるのです。
その為に「真の信仰」と「霊魂(心)の理解」と「実践」が必要となるのです。
人は、悪行や、怒り、憎しみ、恨みなどの大小強弱の悪しき想念を抱く事が御座います。
その自らの心が悪しきを思い抱いた時には、自らの善なる良心で和合せしめる事が「改心」であり、
悪心と良心が和合し、悪しき想念が打ち消された事を「善」というのです。
また、他者に対しては、
人の悪しき思想や所業は、嫌悪し排除し滅するのではなく、他者が抱いた悪心を、自らの良心で言向け和すように誘導する事なのです。
これが「悪を抱き参らせる」という事になるのです。
(※ 自らが悪心を抱いた時に、自らが自問自答し善なる良心で和合する事)
※ 日月神示(614)では「自分自身、己の為の善は死し、善の為の善は弥栄えるぞ。」とあるように
自分基準の善では駄目であり、神を中心とした大精神による善が真であり弥益々に栄えるという事になるのです。
厳瑞

